方法マシンを勉強する。

この前、浅草のアサヒアートスクエアで、方法マシンの歴史をたどることができ、さらに安野太郎さんの「音楽映画第4.1番 浅草のお花見」の最新作初上映も見れる!というイベントがある、ということで時間を調整して浅草へレッツラゴー。
場所は吾妻橋のちょい先なのだが、なんとオイラこのレクチャーのほんの数日前に、この吾妻橋にある屋形舟屋「あみ清」から昔とってもお世話になった作曲家、西村朗先生&仲間たちと屋形舟ツアーに行ったところだったのだ。
その後カラオケ大好きな先生に連れられて浅草駅前のビッグエコーにて来生たかおの「GoodByeDay」や「シルエット・ロマンス」を先生とデュエット。自分はもともと来生たかおが好きなので、歌う予定だったが、先生とデュエットするとは思わなかったので、サプライズ&うれしかった。
先生はその後も「マイ・ラグジュアリー・ナイト」「セカンド・ラヴ」と来生たかお入力を続けた。「マイ・ラグジュアリー・ナイト」は先生が歌ったが、「セカンド・ラヴ」は自分が担当した。するとすかさず先生から「きみの歌では二度目の恋の深みが表現できておらんよ。」とのコメントが。よ〜し、次歌う時は二度目の恋をちゃんと意識して歌ってみるぞ〜。と燃えた。
来生たかおって誰やねん?と思う人もいるかもしれないが、薬師丸ひろ子の歌う「夢の途中」や中森明菜の「セカンド・ラヴ」の作曲者と言えばピンとくるかもしれない。作詞は来生たかおの姉来生えつこ
ちなみに自分はデビュー曲の「浅い夢」がとても好きである。来生たかおの最高傑作じゃないかなぁとも思う。ので興味のある方は是非聴いてほしい!
ということで、西村先生と方法マシンという多分色々な意味でとても対極にある二者が同じ吾妻橋で(自分の中で)触れ合うということにピリリピョロとしたのであった。

それで本題の「緊急お花見企画with方法マシン
の内容だが、方法マシンのイベントやコンサートでの活動歴を映像で追うことができる、というもので、方法マシン初心者のオイラとしてはうれぴい内容。
上映されたのは、演算するからだ展、またりさま全公案連続演奏会、方法マシンによるクアッド、音楽映画第2番 三宅島、ハノン大演奏会、手順派合同祭in三宅島。それぞれのイベントでの方法論や思い出について方法マシンのメンバーが手短に説明する。
全体を見ていると、方法マシンが、とても意欲的に前進、進歩しているのがよくわかる。
そして、安野太郎さんの「音楽映画第4.1番 浅草のお花見」の初上映。これは隅田川の川沿いを録画して、その画面に写っている人、物、とにかく全てを方法マシンがリアルタイムでその場のマイクでしゃべっていくというもの。
これはグッときたなぁ。まず画像がよい。これだけでもすでに東証一部上場だ。さらにメンバーの語りも、自然の一部みたいでよい。これで衆議院議席も獲得だ。それでずっと昼間の風景なんだけど、ラストで夜景になる。夜景になったところでメンバーの名前がアップされ、メンバーが自分の名前を呼ぶ。ここが普通に直球でよかった。ここは普通に松竹映画と同じ様に見ていいところだ。自分の頭の中ではすでに芥川也寸志さんの音楽が鳴り響いていた。
上映終了後、その後自分は参加できなかったが、方法マシンの中心的活動ともいえる「またりさま」を実際に体験するワークショップもその後あった。盛りだくさんでよかったなぁ。
ということで、方法マシンをよく知っている方も、初めて知った方も、方法マシンの第4回主催公演「サーチエンジン」というのが7月18日(金)
にあるそうなので、行ってみるといいかもです。ゲストにピアニストの大井浩明さんが登場。会場が横浜港の見える丘公園のすぐ横の山手ゲーテ座。建物自体いい雰囲気の建物です。

方法マシンの説明from当日プログラム
方法マシンは、美術家の中ザワヒデキ氏、詩人の松井茂氏、作曲家の三輪眞弘氏の呼びかけのもと、2004年の春に結成されたパフォーマンス集団です。三氏は、2000年1月1日『方法絵画、方法詩、方法音楽』の宣言以降、「方法主義者」を名乗り、電子メール機関誌『方法』発刊を始めとする活動を続け、2004年12月末日を持って、その活動に終止符をうちました。その彼らが、方法主義を継承し、方法主義的作品を実現化する新しい身体を求めて結成を呼びかけたのが「方法マシン」です。呼びかけに応えて、13人(当初)のメンバーが結集しました。作曲家、演奏家歌人、美学者、ダンサー、アスレチックトレーナー、プログラマー、学生など、多岐にわたるバックグラウンドを持つ彼らは、「方法的」なる作品を選び、集団独自の解釈にそったリアライズに向けて肉体を改造していきます。それは例えば、「正確に50センチの歩幅で歩く」「ある論理式を瞬間的に演算して身体に反応させる」訓練を、毎日一定の時間行うことで達成されます。

ダンスでも演技でもなく、プロフェッショナルでもアマチュアでもない、禁欲的にアルゴリズムに従う身体が現出させる「方法主義」の真髄、またそこからこぼれ出る予期しない「何か」が、この集団の最大の醍醐味といえるでしょう。その上演は「公演」の概念すら揺るがすものとして、まさに現代芸術のエッジに屹立するものです。